寄付すること

2018.09.22 (土)

若かりし頃は、「寄付」に対して、もしくは「寄付をする人」に対して余り良くない感情をいただいていました。

若いころの私は、なにか偽物っほい優しさや偽善、そしてそれをすることでの良い人アピールが目的なんじゃないか、とかなり穿った見方をしていました。本当にきれいなものを求めていて、濁ったものに染まりたくないと思っていました。
そのくせ、純真潔白でなにもやましいことがない真っ直ぐな人間だったかといえばそうではなく、都合の良いようにずるく立ち回るようなところもありました。嘘もつくし。かなり痛い。(笑)

でも年月とともに、少しずつ濁ったものとか中間のものとかどっちつかずのものとか、決めかねている状態とかに、愛らしさを感じるようになりました。昔は嫌っていた部分を認めるようになってきたというか。
そんな風に少しずつ変わっていく中で、東北の大震災が発生しました。
寄付に関して、否定的だったはずの私の中で考えが変わったと思うことがありました。芸能人がいくら寄付した、この人がいくら出したということが話題になっていましたが、ある歌手の方が言っていたのが「偽善でも寄付したほうが良いに決まってる」ということ。そうなんですよね。
この、「寄付」については、いつかもう少ししっかりと話したいと思います。
 
さて、9月は私の事業を開始した月なのです。
9月になると私は友人の活動しているところに、少額ですが寄付をしています。今年は、天赦日で一粒万倍日で、大安の日に寄付をしました。ちょっと魅力的な日だったので。
この寄付は、友人の活動を心から応援しているということを行動で示している、というものです。口で応援も嬉しいです。でも行動に示して初めて伝わることがあります。大人とこどもの違いは、大切にしているという気持ちは行動で示す必要というか、責任があるということなのかなと思うようになりました。まだまだ私には出来ていませんが、これから先の人生でも、行動で示していくことを大事にしたいと思います。

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