私は、ファッションに対して子供のころから興味がありました。その根源は母の着道楽が、遺伝したのだと思っていますが、その前に、父が贅沢に対して厳しくて、いつも洋服がお下がりだったことが大きい要因です。
幼少期から小学校高学年までの私は、洋服に関して、姉からのお下がりしか与えてもらえないことをとても不満に感じていました。いつも姉ばかり。早く大きくなってお下がりから逃れたい、私も自分の気に入った新しい服が欲しい、と思っていました。
不思議なことに、お下がりの服はもらって私が着ていても、所有権はいつまでも姉のものです。「あ、それは私の気に入っていたセーターだからね」などと言い、新しい服も小さくなった服も自分のもの呼ばわりされていて、それはとても悔しかったと記憶しています。その時に芽生えた、服を好きに選びたい欲が、私をアパレル業界にに向かわせたといっても言い過ぎではないと思います。
ちなみに、私は三女です。姉二人のを通過したお下がり服を着ていたのです。
その後洋服に執着しながら私は大きくなりました。高校生の頃には、モノトーンの美しさに惹かれ、山本耀司や川久保玲の描くコムデギャルソンの世界に憧れました。そしてその時に来ていた服もそのブランドのものもありました。私服になれば、大人っぽく見られていて、高校生にして20歳くらいの風貌でした。
大学を卒業し、会社に入って3年目に営業職に異動したことで、私は壁にぶつかります。営業ですので、トレンドの色を取り入れた服を勧めていかなければならないからです。今までの私の好んだ山本耀司の世界にはない、赤やら黄色やら緑やら、彩やかな色の服を売っていかないといけません。
それまでの私は、白黒茶紺のいわゆるベーシック色で全身をスタイリングしていました。何の違和感も持たず、その色で私のファッションの世界は作れていたのです。
でもこれでは仕事としては不都合があります。シーズンごとに提案色を変えていくのがファッションの世界では当たり前のことです。どのトレンド色も私自身が着たこともないのに、すすめていくことに危機感を感じました。このときからです。私は色を取り入れ始めました。色の展開が1色増えるだけで、スタイリングの幅がぐっと増えていくことを実感します。とても楽しくなりました。急にミーハー女子になったような気分でした。こんなファッションの楽しみ方もあるんだなあと、色という要素がファッションにもたらす影響の大きさに驚き、そしてファッションの世界の広がりを享受するようになりました。
そして私はもっと色について学びたいと思い、学校に通い始めました。そこで人それぞれに、お顔に映える色が違うということを知りました。こんなマジックがあるんだと色のすごさを感じました。そして今の仕事に至ります。
ファッションがあって、色のもたらす効果があって、そして今、私は色とファッションの仕事ができています。
色とファッションと私。離れられない関係なのです。