便利イコール幸せ?テクノロジーで得る幸せについて

2018.09.12 (水)

最近のこと、仕事で「IoT」ついて文章を書く機会があって、まったく知らない世界でしたが、調べながらなんとか書きあげたということがありました。

それ自体はインタネットに無縁ですが、IoTを通して単独の機能を持つそれぞれを繋いでいく、例えば「アレクサ、キッチンペーパー頼んで!」とか「okグーグル!」とか呼びかけることで、音声認識をして指示をかける。または注文を出す、音量を小さくする、電気を消す。または、遠隔操作でエアコンをつける、施錠するというようなことが出来るようになりました。このように、テクノロジーの進化によって家電がちがう利用価値を持ち、便利になっているという話を書きました。
 
一方で、何かちょっと違和感も感じています。
昔読んだ漫画を思い出すのです。
資産家の一人暮らしの男性が、お金をかけて家の中の仕事をオートメーション化させて、一日を過ごすという話でした。
朝起こすのはもちろんロボットです。決まった時間に起こしてくれて、決まった時間に朝食が出来てきます。それを ナイフで切ってフォークで口に運ぶのもロボット。もちろん後片付けもしてくれます。夜になれば、浴室に運んでくれて浴槽に入れて身体を洗ってくれます。着替えもお手の物です。来客が来れば、ロボットが自動でお茶を運んできます。
この家の主人はその完璧な動きに満足していて、一人暮らしでも何も困らないし一生楽に生活できると、人々に自慢していました。素晴らしいですよね。人が担っている仕事を、機械化・自動化することで労力を完全に減らしているのです。確かに便利です。
しかし、ある時から、この漫画の中での資産家の生活が乱れてきます。この男性が体調を崩すのです。それでも毎日同じ時間に起こされて、同じメニューの朝食。食欲がなくとも口に運んできます。熱が出ているのでお風呂にも入りたくないのですが、勝手に連れていかれ、浴槽に浸かることになります。そして余計に調子が悪くなっていく。
結局、数週間後に、主人は亡くなって発見されました。
 
人間の感情や体調の崩れ、それを持ち直すための良策を考えてみれば、やはり人の手の温かみだったり、心配の声だったり、気にかけてくれていることだったりします。
生活を楽にしてくれるためのシステムや技術の進化は必要です。でもそれをコントロールするのは人間であることが前提です。システムに支配されるのでは、人間は死んでしまいます。
手伝ってもらいたい部分を担ってもらうのは正しい使い方です。でも判断は任せないのが、人間として正しいように感じます。
執筆をしたことで生まれたテクノロジーに関する、所感でした。

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